なんで3部構成とかワケわからん事書いちゃったんだろう・・・
何がってやっぱり活動歴が長い彼らの記事を書くにあたって、参考資料とかソース不明な噂話とかが多く、それに加えて書きたいことが山ほどあるので遅筆になるばかり、長丁場になるとは踏んでいましたがちょっと想像以上でしたね。
マジメな話前回の導入編を投稿してから2か月経過してて目ん玉飛び出ましたが、シリーズの着地点は見据えてるのでご容赦ください・・・
気を取り直して当記事では1st~5thアルバムまでの出来事を振り返ってみましょう。
導入編でも述べた通り、波乱万丈な出来事に見舞われ続けてきた彼ら、今現在のように自分たちが思い描くような作品を自由に作れるようになるまでかなりの年月を費やしてきました。
世界的な成功の裏にあった苦悩と困難、そして友との別れの連続の上に積み上げられてきた彼らの歴史を辿ってみましょう。
〇1985~1989【When Dream and Day Unite】
導入編のおさらいとして1985年、ジョン・ペトルーシ(Gt.)と幼馴染のジョン・マイアング(Ba.)は共にバークリー音楽院へ入学、そこで出会ったマイク・ポートノイ(Dr.)と意気投合し、勢いそのままバンドを結成。
ケヴィン・ムーア(Key.)と合流して「Majesty」を結成し、マイアングのバイト先にまで押しかけてきたなんて噂があるプロ経験者のチャーリー・ドミニシをボーカルに迎え、バンド名をDream Theater(以下DT)に改め活動を開始します。
メンバーがそろったDTはMCAレコード内のメタル専門レーベルであるMechanicと契約し、デビューアルバム「When Dream and Day Unite」をリリース。
このアルバムには後のDTには見られない粗削りでアグレッシブな楽曲が多く収録されています。
ややスラッシュメタル寄りの疾走感溢れるアプローチは当時の流行りを感じますね。
そういったスピーディーな楽曲(①や⑥)やテクニカルなインストの③、影響元のRushを思わせるような壮大でドラマティックな⑤と⑧などなど、「なんか開花しそうな気がする」雰囲気自体はめっちゃ感じます。
リリース時期は少々前後しますが当時のメジャーなメタルシーンではMetallicaの「Master of Puppets」やIron Maidenの「Seventh Son of a Seventh Son」など、プログレッシブ・ロックの片鱗を感じる傑作がしのぎを削っていた時代、そこに現れたDTが「プログレ+メタル」を一歩先のステージへと推し進めた作品であるといえるでしょう。
楽器陣のテンションも全体的に高め、ペトルーシは今ではあまり見られなくなったネオクラっぽいフレーズを多用したり、マイアングも積極的にベースラインを動かしたり手数多めのソロを披露しています。
彼らにもこういった時代があったのだと再認識する、ある意味で必聴盤といえるのではないでしょうか。
が、どうも手放しで褒めようにもそうはいかない部分が多々ありましてね…
まず真っ先に挙げられるのが音質の悪さ、発足したてのレーベルだからある程度仕方ないかもしれないけど、それにしたってレコーディングスケジュールがたったの3週間じゃあクオリティコントロールもクソもありません。アカギの鷲巣麻雀編なら見逃しててもギリ何とかなります。
もう一つ気になるのはいっぱいいっぱいな感じが拭えないドミニシのボーカル。音質の悪さと相まってB級感を後押ししてしまっています。
これもミックスの出来ややり直しのきかないスケジュール管理の影響がモロに出ちゃってます。
いずれにしても「惜しい!!!」というアルバムです、せめてミックスさえきちんとできていれば衝撃的なデビューアルバムになってたのにな~
導入編でもご覧いただいたであろう活動初期の映像。
編集とか諸々ツッコミどころはありますが、演奏技術の高さと勢いは伝わってきます。
余談ですがDTとレーベルのMechanicは揉めに揉めたそうで…
専門レーベルとして立ち上げされたばかりでプロモーション不足に加えツアー予算等はほとんど無くレーベル側は契約の殆どを反故、1stアルバムのツアーはなんとNY周辺の数か所のみという有様、華々しいデビューは泡と消え、DTは世間にほとんど知られることはなく一部のマニア間でのみ知られる存在に…
こんな状況では当然信頼関係を結ぶことなど難しく、DTはレーベルを離れることを決意しますがMechanicはなんとこれを拒否、「せやったら1stアルバムの権利、耳そろえて渡さんかい!」と条件を付け足されてしまう始末。
しかしバンド側の意思も堅かったようで、アルバムの権利をMechanicに譲り、自身に課されていた数枚分のアルバム契約を買い取ってレーベルを離れることに。
今現在もバンド側が権利を持っていないため再録やリマスターも望み薄、もったいない!
かくしてDTの長い長いボーカル探しの旅が始まるわけです。
見事に出鼻を挫かれてしまったDT、前述の通りツアーもほとんど無く売り上げも伸びず散々な目に、この状況に不満と行き詰まりを感じたドミニシとの軋轢を埋めることはできず関係は悪化。
デビューアルバム発売直後にしてボーカリストが脱退(というか解雇)、転落っぷりが止まりません。
こんな状況からいったいどうやって第一線を走るバンドにまで成長したのか。
それは発売当初から今現在に至るまで傑作として語り継がれ、ジャンルの垣根を超越した2ndアルバムが世に放たれたからでしょう。
〇1992【Images and Words】
レーベルとの契約を切りボーカリストを失ったバンドは新たなメンバー探しに奔走することになります。
オーディションを実施するも納得できる人材に出会うことはできず、約200人とのセッションを行ったとバンドは振り返っています。
長い年月を費やした結果、バンドはクリス・シントロンという人物を新たなメンバーに迎え入れる決心を固め、レーベル契約に乗り出そうとしたその時でした。
1991年某日、カナダから一本のデモテープが届きました。
長いボーカル探しに終止符を打ち、いよいよ動き出そうかと思った矢先の出来事、いささかタイミングが悪いですがせっかくの熱意を邪険に扱うことはできず、とりあえず聴いてみることに。
そのテープから飛び出してきた声にメンバーは圧倒され、新しいボーカルは彼以外ありえないと絶賛。
このテープの送り主こそ現ボーカルであるジェイムズ・ラブリエだったのです。
興奮冷めやらぬメンバーはクリスの加入を取り消しラブリエをニューヨークに招待、直接のセッションでも圧倒的な音域と表現力に感銘を受け、正式にメンバーとして迎え入れます。
ラブリエの加入を機にバンドは軌道に乗り始めます。
ボーカル探し中も曲作りとリハーサルを徹底していたバンドの実力はデビュー時よりもさらにレベルアップ、まさに盤石の体勢。
新曲を収録したデモテープはAtlantic Recordsの目に留まり、傘下であるATCO Recordsと契約を結びます。
レーベルの強力なバックアップを受けながらレコーディングは着実に進んでいきましたが、バンド側が構想する表現とヒットを狙うレーベル側の意見は衝突を生み、かなりの難産作であったとドラムのマイクポートノイは語っています。
レーベルに提出したデモ音源はいくつか形を変え、日の目を浴びることなく没になっていった楽曲も多く、レーベルとの折り合いの末に完成した楽曲はヒットの可能性が低そうな6~10分の長いものばかり。
完成こそしたもののバンド側は手ごたえを感じられないまま、1992年7月7日(日本では8月10日)、ついに2ndアルバム【Images and Words】がリリースされました。
ちなみにこのレコーディング時の様子はポートノイが映像として残しており、何故かYouTube上にアップされています。
当記事内ではご案内できませんが、若さゆえのユーモアと緊張感漂う非常に貴重な映像でしたので興味のある方は探してみてください。
結論から言うとこのアルバム
めっっっっっっっっっっっっちゃ売れました。
どれぐらい売れたかというとまずワールドツアーができるぐらい売れました、そのツアー中にも売れたからワールドツアー2周しました。
後述しますがアングラ極まりないプログレッシブ・メタルというジャンルがビルボードチャートにランクインする快挙も成し遂げます。
前置きはこの辺までにしてアルバムの解説に移りたいところですが、はっきり言ってムリです。
なぜならこのアルバム1枚で記事ができるほど濃密な作品です、まず聴いてください。
というのはあまりにも乱暴なので軽く説明していきましょう。
無理矢理一言で表現するのであれば「完璧なバランスで構成された歴史的傑作」以外にないと思います。
じわじわ登り詰めていくミステリアスなイントロからキャッチーなサビへと展開していく①、病に侵された家族への愛を歌う②はラブリエの表現力が光ります。
ある意味有名な「展開ブチ切り編集MV」、繰り返し放送されたことがビルボードチャートインするきっかけに。
プログレのエッセンス満点でありながらややフュージョンっぽさも感じる③は現在に至るまで最難関のユニゾンパートとして名高く、④はポップスとしても佳曲でありながらテクニカルなソロやプログレの片鱗をのぞかせる小曲。
そしておそらくDTのソングライティング能力が最も遺憾なく発揮されている⑤、ストーリー仕立ての歌詞に沿うかのように慌ただしく変化を続けていく楽曲構成、各パートの人知を超えたテクニックとそれに裏付けされた美しいメロディが駆け巡る9分の大作。「Pt.1」と銘打たれている通り続編が存在しますが、この時は何となく付けたようで特に考えておらず後にちょっとだけ苦労したなんて裏話も。
続く⑥はアルバム中一、二を争うスピードで駆け巡るメタリックな一曲、起承転結ツボ押さえまくりなペトルーシのソロはギタリスト必聴。
⑦ではケヴィンのミステリアスで夢の中を彷徨うようなキーボードが一旦落ち着きを与えたかと思いきや、全員が持ち味をフルに生かした初期の傑作であり、マイアング作詞の10分を超えるプログレ文学⑧へとスムーズに流れていきます。
数多い楽曲の仲でも屈指の人気曲Metropolis。
目まぐるしく変化していく展開と高いテクニック、そしてメロディアスな楽曲はまさしく彼らを象徴する一曲。
前作のプログレッシブロックとスラッシュメタルの融合というフォーマットから逸脱したスタイルを確立。
これを機にDTフォロワーが多く生まれるきっかけにもなりました。
リリース30周年を記念して公開されたペトルーシのインタビュー動画、当時の裏話を交えながら楽曲について語っています。
しかし控えめに見てもこのアルバムの完成度はやはり群を抜いています。
課題であった音質は前作から向上し、ラブリエの艶やかで伸びのある驚異的なハイトーンから、哀愁と憂いを帯びた驚異的な表現力は世間に衝撃を与えました。
磨きをかけたテクニックとソングライティング能力も高く評価され、メンバーとレーベルの不安は杞憂に終わり、「プログレッシブ・メタルとはなにか」という問いへの明確な回答であり、リリースから30年以上経った今でも金字塔とされる傑作となったのです。
その成功の先で別れが待ち受けているとはまだ誰も知りません。
〇1994【Awake】
世界的な成功を手にした彼らはツアーを続けながらも作曲を並行、この頃1994年はかのグランジ界の天才カート・コバーンが自らこの世を去り、一時代を築き上げたオルタナ/グランジのムーブメントが徐々に落ち着きを見せ始めた年です。
低くチューニングを下げた重苦しい空気感がバンド界を席巻していた時代、グランジムーブメントにおいてもスタンスを崩さなかったPanteraや逆にメタリックなアプローチを欠かさなかったSoundgarden、そしてのちにNu-Metalの開祖とも言われるKoRnが「Are You Ready?」の掛け声とともに吠え新たな時代を切り開き、名盤が次々と発表されていく中DTもこの重く冷たい空気の中に身を投じていくこととなります。
最低音をAまで下げ感情むき出しで鬱屈した叫びを吐き散らかすKoRn。中の人も当然大好き。
90年代の暗い空気を纏った彼らも間違いなく新時代を切り開いた革命的なバンドといえるでしょう。
そうして1994年、混沌としたシーンにDTは3rdアルバム「Awake」をリリース。
①の軽快かつファンキーなドラムで幕を開けるこのアルバムを語るうえで欠かせないのは、2人のジョンが7弦ギター/6弦ベースを駆使してレコーディングされた作品ということ。
ロックシーンにおける7弦ギターの可能性はみなさんご存じスティーヴ・ヴァイが「Passion and Warfare」示した通り、本作はその延長線上にあるといえるでしょう。
⑦、⑧はその恩恵が十分に発揮されており、2ndアルバムとの明確な違いとスタイルの広さを見せつけることに成功。
しかしこの路線変更がI&W路線を期待していた層にはやや賛否両論だったそうですが、それを差し引いても粒ぞろいの名曲がそろった傑作であることに間違いありません。
DT印の超絶技巧インストの④やアコギメインの旋律とラブリエの柔らかな歌声が心地よい⑥、マイアングの6弦ベースによるハーモニクスが美しくメロウなサビが心地よい⑨などなど、世界的な成功を経てなお進化を止めない挑戦的なアルバムに仕上がっています。
イントロだけでもポートノイの遊び心とセンスが詰め込まれた6:00で幕を開ける本作。
「Awake」というタイトルの1曲目に時間を入れてくるのも洒落が効いてます。
機材オタクとしてはこの時期のみマイアングが使用していた「Tung Bass」に触れないわけにはいきません。
前作のI&Wツアーで既にトバイアスの6弦ベースを使用していた彼ですが、他のベースも試してみたいなーと考えていたところニコラス・タング氏から声を掛けられ、ユニークなボディ形状に興味を持ったマイアングはトバイアスから浮気しちゃいます。
本人もよほど気に入っていたのかツアーでもガンガン使用、喋らないことで有名だったのにTung片手に教則ビデオまで撮っちゃいました、舞い上がっていたんでしょうか。
ところがニコラス・タング氏がルシアー業を引退し、バックアップ等が難しくなったことでTung Bassは表舞台からひっそりと退くことに。
4thアルバムのツアー半ばごろにはYAMAHAと契約を結んでいたので使用期間としてはごく短いものでしたが、その特異な形状から印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
個人的にマイアングのミステリアスなキャラクターと絶妙なボディバランスのTungはルックス的に一番強烈な組み合わせだったと思っています。
なんかもう「僕たちロックバンドです!」って感じのMVがたまりません。当時のペトルーシは7弦のシグネイチャーが完成していなかったのかヴァイモデルを使用していますね。
マイアングが手にしている丸っこくてネックが妙に長いベースがTungです。
話を戻して、Awakeは今こうして振り返ると明らかな名盤ではあるのですが、前述の通り2nd路線を期待しすぎた世間からはやや賛否両論気味であり、思うようにセールスを伸ばすことができなかったようです。
悪いニュースはこれだけで終わりませんでした。
結成当初からのメンバーであり、作曲と世界観の構成に大きく貢献していたキーボーディストのケヴィンが脱退を申し出たのです。
レコーディング中の脱退表明ということもありメンバーは必死で説得、ポートノイがケヴィン作曲の「Space Dye Vest」を収録するから何とか考え直してくれないかと懇願し一度は収まったそうですが、全曲録音終了後に「やっぱり辞める」と再度申し出てしまいます。
リリース後の予定を決める重要なタイミングでの申し出にポートノイは激怒、結果としてケヴィンはアルバムのミックス作業が終わる前にDTを去ることになったのです。
妙に鬱屈とした悲壮感溢れる一曲、この路線でいきたかったケヴィンは後にソロプロジェクト「Chroma Key」等で活動を開始
しかし既にツアーも組まれたタイミングでのメンバー脱退、デビュー以来最大のピンチを迎えた彼らは果たしてどう乗り越えるのか…
〇1995~1997【A Change of Seasons / Falling into Infinity】
この間のDTは長きにわたる活動の中で、最も混沌としていた時代だったと断言できるでしょう。
成功直後の不振やツアーを目前にした創立メンバーの脱退等々まさしく絶体絶命、とりあえずツアーだけでもやり切らなければ話になりません。
取り急ぎサポートメンバーを招集してライブを行うと意外や意外、なかなか好感触だったようでそのままツアーに誘いますが
「ごめん先約があるねん」と断られてしまいます、マジでついてないなこの時期。
断られてしまっては仕方がありません、もう一人の候補者であるデレク・シェリニアンにサポートを依頼。
キッスやアリス・クーパーとの共演経験もあり場数は十分、キーボーディストでありながらガンガンリードを取る攻撃的なスタイルと即興にも強いデレクの実力にメンバーは納得、一旦サポートメンバーへと加えます。
ちなみにこの時の候補者にはイングヴェイの「Rising Force」で有名なイェンス・ヨハンソンが控えていたそうです、それはそれで見たかった。
デレクを迎えたDTはミニアルバム「A Change of Seasons」をリリース。
この楽曲はDT活動初期からライブで演奏されていた楽曲であり、古くからのファンに「はやく音源としてリリースしてや!」
と急かされていたとポートノイは語っています。
初期構想から改良に改良を重ね、リリースされた最終形態はなんと23分超!ここにきて極まった感出てきましたね、後に公開されたデモ版は17分前後でした。
しかしただ長いだけの楽曲にあらず、この曲は若き日のポートノイの悲劇とそこから得た人生観をパッケージした壮大な物語なのです。
背景やテーマ性、長尺でありながら中だるみなど一切ない見事な楽曲構成はリリースから30年を超えた今でも「これこそがDTのベストチューンだ!」と上げるファンが非常に多いまさに集大成。
7弦の開放を駆使した深みのあるイントロから止まることなく展開していく23分の旅。
テクニックや構成はさることながら、「今日という日を摑め」というポートノイの人生哲学が込められた歌詞にも注目。
実はこの曲はケヴィン在籍時、もっと言えばI&Wに収録される予定だったそうですが、収録時間があまりにも長くなることに難色を示したレーベルにNOを突き付けられてしまいます、まあ1stでコケた後だし仕方ないね。
本作には同時期に行われていたライブテイクからジェネシスやカンサス、さらにはエルトン・ジョンなどの古今東西の名曲をカバーした音源を収録。
演奏技術やアレンジ力は勿論、彼らの音楽的な懐の深さが垣間見えます。
このツアー中にメンバーとの相性や実力が認められ、デレクはDTの正規メンバーとして迎えられることになります。
しかしながらファンからの受けと売上の良し悪しは別の話、この頃バンドは「そろそろPull Me Underみたいなヒット曲が欲しいアトコねぇ」とレーベルからちくちく言葉を投げかけられていた時期。
ブレーンである我らが巨匠ポートノイの「ウチはこれでやってるから」マインドは、これまで何度か炸裂してきましたが、ここでレーベルはとんでもない強硬手段に出ます。
なんとバンドの意向を無視して外部からヒットメーカーを起用し、4thアルバム制作を命じてきたのです。
この時採用されたプロデューサーはボン・ジョヴィのLivin' on a PrayerやキッスのI Was Made For Lovin' Youを手掛けたデズモンド・チャイルド、超大物来ちゃった。
巨匠ポートノイはもちろん激怒&衝突、ですが吠えに吠えまくっても売り上げを指摘されてしまうと口を塞ぐことしかできません。
しかもラブリエやペトルーシはある程度この状況を受け入れていたようで孤立していくばかり、マイアングは相変わらず何も喋らないしでメンバー間の軋轢が止まりません。
この状況を救ったのは新メンバーであるデレク!持ち前の明るさと数々のバンドを渡り歩いてきた社交性でもって冷え切ったメンバーの仲を取り持ったのが彼でした、偉すぎるよデレク。
様々な困難と混沌を乗り越えて完成した4thアルバム「Falling into Infinity」は良くも悪くもDTらしさを払拭した作品として知られており、前作以上に賛否が分かれたアルバムとなりました。
デレクの未来的な音使いとマイアングの12弦チャップマンスティックによるタッピングの①で幕を開ける本作は全体を通してもやや実験的な要素が大きく、前述通りヒットメーカーを起用してラジオヒットを意識した④や父との死別をテーマにした⑥、デレクのピアノがエルトン・ジョンを思わせる⑩などしっとりとしたバラードが多数収録されている点や、ブラック・アルバム以降のメタリカのような重さで攻める③やストラトを使用したブルージーなソロとゲストボーカルとの掛け合いが珍しい⑦などなど、これまでにないバラエティに富んだ楽曲で構成されています。
不遇な扱いの本作ですが、DTのキャリア全体で見ても極めて人気の高い名バラード。
しかしこの守備範囲の広さが逆に「一貫性がない」と一蹴されてしまうこともあり、外部からの介入を受け入れてまで完成したアルバムは正当な評価を得られないまま、レーベルの思惑から外れた結果に終わってしまいます。
皮肉なことにこの「部外者からの介入で散々な結果に終わった」という経験から「ほなワシ等の好きにさせてもらうさかいに!」という意見が通るようになったのです。
あんまりこのアルバムスポットライト当たることないんでもう少し深堀りしますね。
しつこいようですがこの間はバンド内の空気感が一番ギスギスしていた時期でした、レーベルからのプレッシャーやそこから生じたメンバー間のすれ違い、その最中で子どもが生まれたり肉親との別れがあったり、メンバーの言葉をそのまま引用すると「感情のジェットコースターだった」というのがアルバムの内容に実にマッチしていると思います。
そのギスギスやレーベルへの不満を直接歌詞に反映させている辺りほんとにストレス溜まってたんでしょう、今振り返ってもFIIのようなアルバムがリリースされていないことも異質感を引き上げているように感じます。
アルバムのラストを飾るマイアング作詞の名曲。
何気に中の人がDTの楽曲の仲でも一番のお気に入り曲でもあります。
時間は少しさかのぼり、ポートノイはデビュー前からピンク・フロイドなど憧れの先人たちに倣って「2枚組アルバムを作りたい」という野望を抱いており、このFIIで実現するつもりでいたそうで。
レコーディングに当たって当然収録曲リスト的なものを作って提出するわけですが、予算の都合上多くの楽曲が没を喰らい、ディスクも1枚に収めるようお達しが出てしまいます。
上手く作業を進められない現実とメンバーとのすれ違いもあって当時は本気で解散を考えていたそうで、このいざこざを治めてくれたデレクには感謝しかありません。
そしてこの時受けた没という屈辱はちゃんと形になって世に放たれます。
一つは念願の2枚組アルバムとして、もう一つは彼らの再起を決定づけた名盤として。
〇1999【Metropolis Pt. 2: Scenes from a Memory】
時は世紀末、まさしく世界規模で時代の移り変わりが感じられたこの時代、FIIリリース後のDTにも変化が訪れようとしていました。
FIIリリース翌年の1998年にペトルーシとポートノイはサイドプロジェクト「Liquid Tension Experiment」を結成。(以下LTE)
DTのギターとドラムに加え、ディキシー・ドレッグスのサポートメンバーとして名高いジョーダン・ルーデス(Key.)とキング・クリムゾンやピーターガブリエルなどなど、プログレ界の重鎮と肩を並べてきた名手トニー・レヴィン(Ba.)を迎えた超強力インストプロジェクト。
各パートを極めたメンバーから繰り出されるテクニックの応酬と予測不能な展開、そして美しいメロディはバンド名そのまま表面張力が如く緊張感を伴うものであり、98年と99年にアルバムを2枚発表、ほどなくしてこのプロジェクトはしばらくの間凍結することとなります。
アルバムのド頭から音詰め込み過ぎな本プロジェクト、なんか1作目は1週間ぐらいで作ったらしいですよ。正気?
ではこの間のDTは何をしていたのか?サイドプロジェクトに没頭してしばらくお休みしていたのでしょうか?
そうではありません、むしろFIIツアーを完走しライブアルバムとビデオも発表し精力的に活動していました。
ではその変化とは何なのか?それはデレク・シェリニアンの解雇という辛い現実でした。
そして同時に新たなキーボードが加入することになります。なんと御無体な。
混沌を極めた90年代中盤のDTをあらゆる点でサポートしてくれていたデレクを解雇してまでバンドが欲した人物とは誰なのか?それはLTEで活動を共にしたジョーダン・ルーデスでした。
少し記事を遡ってみてください、ミニアルバム製作前に一度セッションをしたのち加入を断られてしまった人物がいましたよね、それこそがこのジョーダンであり、当時の先約とはディキシー・ドレッグスのことだったのです。
実をいうとバンドはケヴィン脱退直後、最初からジョーダンを後任に考えていたのですが、ジョーダンは当時DTよりもっと柔軟な活動条件を提示してきたドレッグスを選び、正式加入には至らなかったのです。
LTEの凍結理由も「いやもうほぼDTやん!」と気づいたから、つまりDT側としてはLTEでのセッションを通し、昔から狙っていた人物をようやくメンバーに引き込むことができたというわけです。
かくしてデレクはバンドを去ることになるのですが、この後もちょいちょいDTのライブにゲスト出演したりしてくれています、大人すぎるよデレク。
少し嫌味な書き方をしてしまいましたが、このジョーダン・ルーデスという男がとんでもなくブッ飛んだ男でして、9歳の頃にクラシックの名門ジュリアード音楽院のプレ・カレッジに入学してます。神童ぅ~
クラシック出身というこもともありテクニックの方は頭一つ飛びぬけてます、それだけなら過去メンバーとそう大差ないように思いますが、技術以上にDTが目指す方向に向きすぎていたのが加入の決め手になったと2024年のインタビューでルーデスが明かしました。
https://www.loudersound.com/features/jordan-rudess-prog-interview
海外の記事になりますが、当時のキーボーディスト交代劇からそれ以前のキャリについて語るジョーダン。
ようやく5thアルバムの話に進みますが、前作FIIは外部干渉を受けた結果セールス的に失敗に終わり、DTはこれをきっかけに「ほな!」と自分たちの表現を追いかけていくことになります。
方向性はすでに見据えており、彼らが考えるクラシックかつプログレッシブな作品、構想は長らくありながらも着手できていなかった「コンセプトアルバム」を手掛けることこそが当時のDTにおけるゴール地点でした。
「コンセプトアルバム」ってなんやねんという声が聞こえてきそうですが、簡単に言うと「アルバムそのものが1つのテーマをなぞる作品」といえば分かりやすいでしょう。
それこそピンク・フロイドの「The Wall」やザ・フーの「Tommy」、近年ではケンドリック・ラマーの「good kid, m.A.A.d city」なんかが有名ですね。
話を戻して、この壮大なテーマに取り掛かるにはクラシックの素養を持ちオーケストレーションに強く、なおかつ技術的にも作曲能力も高いジョーダン・ルーデスは必須だったのです。
リリースから45年以上経った今もコンセプトアルバムのマスターピースとして名高いThe Wall。
映像はバンド分断後になりますが、当時のツアーでは文字通りライブ中に本当に壁を作って最後に壊す、という演出があったそうな。
こうして2nd以来の盤石の体勢が整った彼らは何をテーマにアルバムを作るのか、それは同じく2ndアルバムに収録されていた楽曲にヒントが隠されています。
そう、Metropolis pt.1で描かれた物語をさらに掘り下げ、1枚のアルバムに作り上げようとしたのです。
こうして起死回生を図るDTの5thアルバム「Metropolis Pt. 2: Scenes from a Memory」が完成します。
これがまた凄まじい完成度でして
結果として世界的な知名度を得るに至ったI&Wと評価を二分するほどの作品となりました。
直近のライブ映像より本作の実質的なオープニングナンバー。
ゾクゾクするようなインストから物語の始まりを宣言する、コンセプトアルバムとしてはこの上ない掴み。
ファンからの評価はもちろん評論家からの支持も獲得。
内容については個別で記事を書くつもりなので省略しますが、ざっくりまとめると「前世の悲劇を見てしまった男が真実に迫る」というもの。
巡り巡って人生、そして生きる意味にたどり着く壮大なテーマをI&Wのフレーズを盛り込みつつ、新メンバーであるルーデスのピアノが感動をさらに押し上げています。。
キース・エマーソンのようなサイケでプログレ味たっぷりのエグみのある音遣いとフレーズ、かと思いきや目を瞑って聴き入ってしまいそうになるほど美しいクラシカルなピアノの音色がアルバム全体に散りばめられており、彼の加入は必然であったと誰もが納得したことでしょう。
前世での体験を経て主人公がたどり着いた「生きることの意味」を高らかに歌い上げる感動的な超名曲。
いたってシンプルな楽曲構成が壮大なテーマをストレートに届けてくれます。
この作品で彼らは再度「プログレッシブ・メタルの旗手」として支持を得ることに成功。
テクニカルを極めながらも時にメロディックで意外性を突いてくる、彼らの真髄が濃密に詰め込まれた78分の大作。
確かな成功と手ごたえを感じた彼らはアルバムの完全再現という形でツアーを慣行、DVD化されたNYの最終公演では3時間を超えるパフォーマンスの後、ポートノイが過労と脱水により緊急搬送されていたと後に明かされました。
仕事に一切の妥協を許さないポートノイがここで燃え尽きても良いと思えるほど、今作は会心の出来であったということでしょう。
この時すでに結成からおよそ15年が経過していた彼ら、レーベルとの確執やメンバーの脱退などいつ解散していてもおかしくない状況であったにもかかわらず、時に疑心暗鬼になりながらも自分たちの表現や芸術を追い求めた結果がようやく実を結んだのです。
自分たちのやり方が正しかったということをこれ以上ない形で証明したDTは、この後ようやく自由な制作環境が整っていくことになるのでした。
区切りがいいので前編はこのあたりでいったん終わりましょう、丸く収まったように見えますし実際これからのDTは安定していくのですが、とんでもない事件が待ち受けているのはファンの方なら既に御存知でしょう。
中編ではその一大事件までを予定していますので今しばらくお待ちください。
