鮎川 誠
1948年5月2日生れ/2023年1月29日(74歳没)
福岡県久留米市出身
シーナ&ザ・ロケッツ/サンハウス
【画像引用元:https://www.bsfuji.tv/ayukawamakoto/pub/index.html】
今回のギターヒーローは「めんたいロック」の始祖でもある鮎川 誠です。
ロックンロールという言葉が日本で一番似合う博多のギタリストです。
【画像引用元:https://okmusic.jp/news/44354】
めんたいロックの誕生
鮎川は父親がアメリカ人、母親が日本人のもと福岡県久留米市に生まれ育ちました。
小学生の頃に母親からのプレゼントでガットギターを貰い音楽に関心を抱くようになりました。レイ・チャールズ、エルヴィス・プレスリーのレコードを聴き、中学時代にはロックの創始者の一人ともいわれるリトル・リチャードに夢中になります。周りの友人らにはフォークミュージックが流行っていたが鮎川はどんどんロックにハマっていき、ビートルズ、ローリング・ストーンズと洋楽を好むようになりました。
高校の修学旅行の費用を払い戻し、テスコ製のエレキギターを購入します。
ロックンロールに夢中になりギターをひたすら練習します。その為か、大学受験に失敗。
大学でのバンド活動を夢みて1年間独学で猛勉強の末、翌年に九州大学に合格。
それからは大学で知り合ったバンド「ジ・アタック」に加入。地元博多にある一番の歓楽街中洲のダンスホール専属バンドとしてジェームス・ブラウンやテンプテーションズなどのソウル、R&Bを中心とした洋楽を演奏していました。
1970年バンド活動を通じて知り合った柴山俊之と中心になり「サンハウス」を結成。
1975年には1stアルバム「有頂天」でメジャーデビューを果たし、ゴダイゴやcharらと全国ツアーを回り、全国にめんたいロックとして人気を得ていきます。
【画像引用元:https://bootleg-rainbow.jimdo.com/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9-zi-lie-ya/】
シーナ&ロケッツ
サンハウスは1978年に3rdアルバムに発売と同時に解散します。鮎川は1976年に結婚していた妻シーナ(悦子)をボーカルに迎えバンドを結成。「鮎川誠&シーナロケット」として「涙のハイウェイ」メジャーデビューを果たします。その後「シーナ&ザ・ロケッツ」に改名。シングル曲「ユー・メイ・ドリーム」がCMで起用され一気にブレイク。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)などの共演や様々なイベントに出演し、80年代日本ロックブームの先駆けとして一躍ロックスターに輝きました。ライブ、イベント活動を中心に様々なカルチャに―影響を与え、活動を続けるシーナ&ロケッツですが、2015年にシーナが死去、シーナの遺志を引継ぎ愛娘LUCY(ルーシー)とともに活動を続けていたが、鮎川が2023年に死去となりシーナ&ロケッツの活動は終わりました。シーナ&ロケッツは音楽界に関わらず様々な業界にファンが多く、大きな影響を与えています。
「愛機」の名にふさわしい「名器」
鮎川が40数年以上メインギターと使用していたのが‘69年製のGibsonレスポールカスタム。1978年に手に入れてからずっと鮎川のメインギターとしてレコーディング、ライブにと使用続けていました。当初は知人が新品で購入していた物でしたが、鮎川はとても気に入っていたらしく、レコーでディングが…ライブが…と何かと理由をつけ借りていて、シーナ&ロケッツがデビューするタイミングで「死ぬまで使うから!」と新品の値段で知人から譲り受けたそうです。
ほぼオリジナルのまま使用しており、フレットはJAZZギターに多く使用されている低く、幅広いフレットレスワンダー仕様のまま使い続けており、かなり擦り減っています。チョーキング時には、くぼみに弦が落ちてしまうこともあるそうです。ボディトップとバック共に塗装は剥げ落ち、ピックアップもサビつき、コントロールノブも外れたまま。まさにロックンロールのギターとして育ってきたレスポールカスタムと言えるでしょう。致命的な故障を除きリペアなどはしておらず、自然のままを楽しんでいたそうです。
一度ギターとして限界を超えてしまいそうになり、サブ機を世界中探し回ったが‘69年製の同じモデルがなく落胆していると、住んでいた自宅から徒歩2分の楽器屋で同モデルを見つけ購入したそうです。
他にもファンから譲ってもらった‘69年製のレスポールカスタムに、他のレスポールカスタムをいくつか所有しています。どれも購入時のままの状態で使用しており、ほとんどがオリジナルのまま使用していたようです。
アンプはMarshall 1987 50Wを使用。PRESENCE、BASS、MIDDLE、TREBLEは全てフル!ギター直結で難しいことは一切なしのロックなセッティングです。
JC-120をクリーントーンで使用する場合もありますが、基本的にはレスポールカスタムに、Marshallの直結が鮎川のポリシーです。
鮎川のプレイスタイルはリフ、コードストローク、パワーコードが中心で、速弾きなどの技巧派ではなく、60年代ロックを彷彿とさせるブルースよりなロックギタープレイが特徴です。そして何よりロックでカッコイイ!!スラっとした180㎝の長身でサングラス。
和製キース・リチャーズとでも言いましょうか、ギターをガンガン腕で弾くといった感じでロックンローラーとしてのオーラが半端ではありません。
その佇まいに、ファッション、そしてロックな生きざまに憧れた人も数多くいます。
あの布袋寅泰も「黒いレスポールカスタムを弾けなかったのは鮎川さんがカッコよすぎたからだ。」と語っています。
【画像引用元:https://www.instagram.com/hotei_official/?hl=ja】
「やっぱ九州のコンビニはポプラやね。」
鮎川は常に自然体でいて、上京したあとも九州弁で話しています。鮎川の故郷久留米の筑後弁と、妻シーナの故郷北九州弁が混ざった鮎川独特の九州弁でとても愛嬌がり、優しい雰囲気に包まれます。地元博多愛に溢れ、ライブはもちろんのこと福岡のドラマやCMイベントなどに積極的に参加し、ファンとの交流も大事にしており、優しいロックンローラーとして福岡では知らない人はいませんでした。
私の地元が博多であり何度かお会いしたことがありましたが、とても大きく寡黙な感じでしたが威圧感はなく、優しい口調で気配り上手な印象でした。
【画像引用元:https://tower.jp/artist/319564/%E9%AE%8E%E5%B7%9D%E8%AA%A0】
博多の男性の特徴として情に厚く、芯が強い、豪快で、派手好きながらも寡黙。まさに鮎川そのものです。ロック一筋、レスポールカスタム一筋で50年以上もロックを貫き、余命宣告5カ月と分かるも公表せずにツアーを続行。亡くなる直前まで音楽活動を行っていた生粋のめんたいロック。
鮎川の葬儀には音楽界はもちろんのこと、各業界の著名人やアーティストたちが追悼しファン2000人が参列しました。
鮎川のギター、ファッション、生き様がカッコよくいられるのは何よりロックだったということ。1本のレスポールを愛し音楽を愛した。悪びれてつっぱることがロックではなく、人に優しく、自分に正直に生きることがロックだと思わせるそれが最高のロックンローラー鮎川誠です。
鮎川誠 必聴めんたいロック!
シーナ&ザ・ロケッツ / 涙のハイウェイ Vo.LUCY ver.